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今朝、福井新聞の読書日和というコーナーに建築家 堀部安嗣さんのコラムを見つけました。政治学者 中島岳志さんの「保守と立憲」という一冊についてです。コラムにはいままで感銘を受けた建築、影響を受けた建築のことが書かれていました。「不思議なことに、それらは古い寺院や教会や墓地といった死者を祭っているものがほとんどであることに気付く。」とあります。
寺院や教会の静謐な空気感が漂う建築を美しいと感じる人は多いと思います。しかしなぜだろうと考えてみたひとつの自分なりの結論です。
死者との対話を感じ取るには、無欲な心になる必要があるからなのではないでしょうか。寺院や教会といった場所に必要なのは、死者を想う気持ち、それだけです。その場所にあって色あせて見えないものは、伝統や慣習など時間の積み重ねによって存在しているもののみです。それは建築にも通じているのです。
もちろん寺院と住宅ではその主旨が違いますから同じように考えてはいけませんが、世の中の住宅が少し欲張りになり過ぎていないでしょうか。先人の知恵を先端技術が押しのけてしまうばかりでは少し寂しいですね。新しい技術も活用しつつ、時間の積み重ねから生まれてくる良さも生かせる、そんな建築を進めていきたいですね。
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