「住む」ということを考える

先日の大雨で被害を受けられた方々には、心よりお見舞い申し上げます。一刻も早い復旧を微力ながらお祈りしております。

建築に携わる仕事をしていると、災害という言葉には敏感になってしまう。特に住宅となると命に係わる問題になる可能性も高い。水害やそれに伴う土砂災害、地震、風害、雪害などなど。ただ今回のような水害の場合は建築の問題というよりも、都市計画や開発事業、危険地域の建築制限などの分野になってくるか。今よりももっと行政や有識者、地域住民も入っての街づくりに力をいれていくべきかもしれない。では建築設計をするものとしてできることはなにかを考えてみる。やっぱり最優先は自然災害に対して命を守ることだろう。建築設計というとオシャレでカッコイイなど見た目に目がいきがちだけれど、本来は命を落とすことがないような建築でなければならない。それは耐震性という数値判断だけではなく、過去の災害時の教訓、敷地の周辺環境、配置計画、避難計画、パニック時に瞬時に判断できる形態(ステレオタイプ)も大切。わかりにくいとか使いにくいとかは命に係わる。例えばドアノブがついている引き戸というだけでカギが閉まっていると判断し命を落とす可能性もあるのだ。窓の外を覗いたらすぐそこまで水位が上がってきていたという声も、窓から景色が楽しめる家ではないことを想像できる。家の中は静かで快適すぎて、外の豪雨の音も聞こえないというのも不自然な生活に思える。

自然は厳しくて美しい。厳しいから美しいのかもしれない。濁流に姿を変える雨であったり、恵みの雨であったり。暖かい日差しも時には照り付ける厳しい日差しに。ただそこには佇む涼しい陰。さわやかに通り抜ける風。強風を受け止めてくれる庭木たち。自然は厳しくも優しい存在。そんな自然と人は共棲させてもらうという考えじゃないといけない。自然をシャットアウトする快適さは、人にとって安全ではない。常に自然と寄り添っていれば、事前に危険を察知することもできるのではないだろうか。

いろいろな事情で建築地は決まるので根本的な問題は簡単には解決できないが、設計者としてはその土地での考えられる事象を熟考したうえで最善の「住む」ということを提案していかなくてはいけない。今回の災害で改めてそう強く思った。

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